平林まちナビ
◆平林物語◆
大阪市は明治以降大型化する外国船舶の入港が可能な近代的な国際貿易港の建設が必要となり、大正区などの臨港地区で埋立工事を進めた。主として埋立は市の築港事業として行なわれたが、例外的に、旧幕府以来の私有埋立権(大縄権)が明治以降も継承され、民間で開発されたものもある。その一つが市域南西部、木津川左岸の釜口町(現在の平林)地区197haである。昭和7年に完成、開発者・釜口政吉氏の名前から釜口町と呼ばれた。戦前は農地にも生産工場にも利用されず、一面葦が生い茂るだけであったが、戦時中は第三師団の軍用地となり、高射砲陣地が建設されていた。
名実ともに町名が「平林」になったのは大正区の土地区画整理事業が終結した平成6年1月31日。それまでは仮換地状態で登記簿では「釜口町」となっていた。
「平林」という地名の由来は、沖合いを和歌山の平林甚輔が埋め立てたからという説と、陸軍の管轄だった土地を払い下げた時の連隊長が平林盛人だったという説がある。
◇写真
・正平橋から住吉川大阪港を望む
<1.小画像>
<2.大画像>
・関木から6号池を望む
<3.小画像>
<4.大画像>
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